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ホーム > 学び・文化・スポーツ > 歴史・文化 > 文化財 > 桑窪城跡(くわくぼじょうあと)
指定年月日 | 昭和54年10月10日 |
種別 | 史跡(しせき) |
外部リンク | 高根沢町図書館デジタルミュージアム 桑窪城跡の平面図を見ることができます。 |
城の築かれた年代や誰がつくったかはわかっていません。
城主(じょうしゅ)(※1)は、桑窪修理助秀春か、谷口筑前守と伝わっていますが、はっきりしていません。しかし、この城跡(しろあと)は、町内に残る他の二つ(高根沢城と阿久津城)と比べて、形がはっきりしています。
山城(やまじろ)(※2)で、四段に分かれ、一番上に本丸(ほんまる)(※3)という城の中心となる場所があります。
本丸の広さは、南北に約70m、東西は約40mで北へいくにしたがって、少し狭くなります。
本丸の周りは、簡単に攻め込まれないように、約3mの土塁(どるい)という土の堤防(ていぼう)で囲まれ、その外側は深さ約10m、幅約8mの堀(ほり)で囲まれています。
城の南には城主の家臣(かしん)(※4)の屋敷(やしき)の跡が残っていたと思われるあとがあります。この城は14世紀中ごろまで使われていました。
※1:城主…城の主、主人。
※2:山城…けわしい山を利用して築かれた城。
※3:本丸…日本の城の中心をなす場所。
※4:家臣…城の主(あるじ)に仕えている者
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